大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、電力会社による地域独占体制が始まった時代を逆引きしていく。(ダイヤモンド社論説委員 坪井賢一)
1939年、電力業界は自由市場から国家管理へ
現在の地域独占体制は1951年から
現在の電力会社9社による地域独占体制は、1951年5月に始まった仕組みである(本稿では沖縄電力を除く。沖縄電力を含めると10社体制)。
1951年以前の体制は、国家による一元的な電力管理体制だった。
1938年1月、近衛文麿内閣が国家総動員法案などとともに電力国家統制法案を立案、帝国議会に提出した。目的は、総力戦体制のためである。近代史上初めて、国家の生産力を集中して大戦争に備えるためだった。
ところが、当時の電力業界は激しい競争を繰り広げていた自由市場下にあったので、経営者は大反対運動に乗り出した。議会でも論戦が繰り返されたが、けっきょく3月に賛成多数で成立し、国家管理が始まる。
翌1939年4月、全国の民間電力会社の資本、設備、土地、労働力を政府が接収し、発電と送電を単一の特殊法人が所有することになった。この特殊法人が日本発送電株式会社である。通称、日発(にっぱつ)という。配電については全国を9つに分けた民間企業が委託された。これらの配電会社も国策により民間企業を統合した法人である。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は財閥解体に乗り出し、独占資本を次々に解体していった。日発も対象の一つとして解体案を出すように指示した。
GHQに命じられた日発と配電9社は独占体制を可能なかぎり維持するような案を提出していたが、GHQはそれらを認めず、独自に1949年、地域分割案をつくっている。
戦後の電力業界の姿を決めるべく
電気事業再編成審議会で残った3案
日本政府(吉田茂内閣)は商工大臣の諮問機関として電気事業再編成審議会を設け、5人の審議委員を任命して最適な案を答申するように要請した。